2012年3月19日月曜日

「見知らぬ女」について

こんにちは。「上田知樹の日々の出来事」です。
今回も上田知樹が調べたことを、ここで紹介させていただきますね。
今日お話するのは、ロシアの画家、イワン・クラムスコイの作品、「見知らぬ女」についてです。
モデルは定かではないそうなんですが、そこに描かれた女性は「しずかな佇まいとまっすぐな瞳」をそなえています。いまやロシアで最も有名な作品のひとつだそうですが、発表当時は高慢でふしだらな女性を描いたものだとして多くの批判を浴びており、今日の評価はひとえに人々の芸術観が変化したことによるものであるそう。フレデリック・アンドレセンは、この女性がトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の女主人公に触発されたものである可能性を指摘しているそうですね。同書が出版されたのは「見知らぬ女」が描かれる10年ほど前であり、実際にこの絵をカバーに採った版がいくつか存在するみたいです。トレチャコフ美術館に展示されているものの他に、やはり1883年のものとされる初期のヴァージョンがキール(ドイツ)のアートセンターに収められているのだとか。
「見知らぬ女」は絵画の歴史における肖像画の諸様式をまぜあわせて描かれているそうです。雪景色を背負った若い女性は、誇らしげであり高慢そうにみえます。目鼻立ちは整っていますが、絶世の美女というわけではないそう。その人となりは彼女の印象的なくちびる、物憂げな眼、濃いまつげといった表現によって露わになっています。まとっているのは流行りの黒い毛皮のコートと帽子、薄い革手袋であり、ペテルブルクのアニチコフ橋に馬車をとめているみたいですね。彼女がいったい何者であるのかは美術史家たちも明らかにすることができないままだそうです。クラムスコイは題に「見知らぬ女」とだけつけ、手紙や日記などでモデルについて言及することはしなかったそう。それが人々の好奇心をくすぐり、この絵画にほとんど不可解なほどの高い評価を与えているのだそうです。彼の仕事ははじめから美術界の傍流におけるいわば反抗的なもので、ロシアの美術アカデミーから追放されるまでに時間はかからなかったそうですね。しかし1883年ごろにはその名がよく知られるようになり、アレクサンドル3世といった最高のパトロンのもとでその肖像画を描くまでになっているそう。そしてまたクラムスコイは移動派の創設者であり指導者という顔ももっていたようです。しかし、「見知らぬ女」が初めて発表されたときのセンセーショナルな評判は、作品の審美的な側面によるものというより、そこに描き込まれた主題と関わっていたそう。この「見知らぬ女」は娼婦であると決めつけられ、無数の批判を浴びたのだとか。「馬車にのったコケット」の絵だという評者がいれば、「全身をビロードと毛皮でつつみ、華美な馬車の上から冷笑的で、訴えかけるような眼差しをこちらに向ける、挑発的なまでに美しい女。路上で売りさばいた貞操の対価を装いとして身にまとう卑しい女を野放しにするような大都市の残りかすではないか」とまでいうものもいたそうです。クラムスコイ自身は、「いったいどんな女性なのかわからないという人もいます。慎ましやかなのか、それとも自分を売り物にしているのか。しかし彼女のうちには、あらゆるものがある」と話しているようですね。 パーヴェル・トレチャコフでさえはじめはこの作品を自身のコレクションに加えることを拒んでいたそうですが、「見知らぬ女」の人気はすぐに不動のものとなっていったようです。クラムスコイに続く若きアーティストたちのあいだで美しき罪というテーマが一般的なものとなったこともその理由のひとつに挙げられるのだそう。2008年、グッゲンハイム美術館のキュレーター、ヴァレリー・ヒリングスは、「じっさい『アンナ・カレーニナ』のような女としてみる人間は多い。彼女はそういった類の特別な感情を抱かせる、特別なロシア人女性なのです」と証言しているようです。
お時間が空いたときにでも、作品を見てみてはいかがでしょうか。
それでは今日はこのへんで。上田知樹でした。